第2話

 ――ここは、どこなのだろう


 遠くで金属が擦れ合うような音が聞こえた。周りの壁は岩を削り出したようにゴツゴツとしており、時折発せられる光が辺りを照らしている。

 ここは、岩山に作られた洞窟なのだろう。光に照らされる空洞はかなりの広さがあり、上を見上げても闇が広がるばかりで天井を見つけることはできなかった。

 気温はかなり高い。光と共に吹きつける熱風は喉を焼き、肌をひりつかせた。先程から意識がはっきりとしないのは、この熱風のせいだろうか。


 ――自分は何をしているのだろう


 地響きと共に自分に『何か』が近づいているのがわかる。気配を感じ、前方を見上げるとそれと目が合った。


 自分を見下ろす巨大な黄金色の瞳。


 縦に長く切れた瞳孔は爬虫類のそれを思わせた。少し黄色がかった鮮やかな赤い色の鱗に覆われた巨大な身体。皮膜のついたコウモリのような翼。そして鋭い爪の生えた四肢。


 まさにそれは、幻想にあって誰もが知り、誰も見たことがないであろう存在――ドラゴンであった。



 緋色のドラゴンは自分を見つめると黄金色の双眸を細め、成人男性の背丈ほどもある巨大な牙を打ち鳴らした。


「つまらん。今代の勇者だというから相手をしてやったが、我を見て放心するなど、そこらの塵芥と変わらんな。さっさと灰にして眠るとしよう」


 ――なにを言っているのだろう


 その声は耳から聞こえるというよりは、頭……いや、心に直接響いているような気がした。

 緋色のドラゴンが言っている意味がわからない。ドラゴン、勇者……自分はここで何をしているのだろうか。曖昧な感覚を落ち着けるように額を押さえ、顔を伏せる。


 勇者、聖剣、日本、仲間、受験、魔物、血、戦い、死――

 

 はっきりとしない意識の中で状況を把握しようとしたが、先程から息が苦しくて思考がまとまらない。酸素が足りない。なぜここに――なにを、どうすれば――

 混濁した意識の中、空気を求めてあえぐように顔を上げる。


 周囲を埋め尽くすのは新鮮な空気ではなく、目を焼くほどに眩い緋色の光。

 緋色のドラゴンから吐き出された、灼熱の息吹ブレス


 ――ああ、死ぬのか


 何を思うでもなく、自然と死を受け入れた。自分が何者か、自分がここで何をしているのか、自分がなぜドラゴンのブレスに焼き尽くされようとしているのか。

 緋色の奔流に巻かれて終わる。なにもわからない今でも、それだけは理解できた。


 仕方がない――考えることをやめ、意識を閉じようとした時、視界を埋めていた光を黒が断ち割った。


「まったく、なにやっとんじゃお前は」


 振り下ろした黒く巨大な戦斧を肩に担ぎ上げながら、呆れたように声を掛けてくる。

 金属の鎧兜をまとった、筋骨隆々の男。子供ほどの背丈しかないその男は、およそ人の力では持ち上げることもできないような巨大な戦斧を軽々と肩に担ぎ上げている。


「ドワーフか。あまりに小さい故、見逃していたようだな」


 ドワーフ。そう、この男はドワーフだ。ドワーフ族の戦士、ギレン。

 黒い髭に黒い戦斧を操ることから黒鬼コッキギレンと呼ばれる屈強な戦士。共に旅をしている仲間だ。


「フンッ、小さいからといって龍を斬れぬわけではないぞ。それに……」


 ギレンが言い終える前に、数十本の矢がドラゴンを射抜かんと迫る。緋色のドラゴンは鬱陶うっとうしそうに翼で射掛けられた矢を払った。


 同時に何もない空間に巨大な模様が刻まれる。淡い光を放つ模様は円形に複雑な紋が刻まれており、円の中心にとてつもない力が集まっているように感じられた。

 刻まれた模様の力に反応したドラゴンは口を大きく開き、緋色の光を放つ。時を同じくして、光を放つ巨大な模様の中心からは巨大な岩の砲弾が射出されていた。


 岩の砲弾と緋色の光が衝突し、轟音を響かせる。砕けた岩の砲弾が壁や床に飛び散り、辺りは土埃に包まれた。


「グラドが牽制しているうちに立て直すぞ」


 目の前に現れた金髪の青年は自分を抱えて空洞から飛び退いた。


「アラド、少し見てくれないか」

「んだ、ちょっと待つべよ」


 言われて飛び出してきたのは子供だ。薄汚れた装束に、どこかで拾ってきたような粗末な木の枝を手にしていた。木の枝でペシペシと頬を叩きながらアラドと呼ばれた子供が語りかけてくる。


「んにー、おらのこと、わかるべか? ほれ、目を見るべ」


 子供なのに、不思議と安心する声。木の枝で頬を叩かれる度に頭がはっきりとしていくのがわかる。


「んだ、怪我とは違ぇけど、オラの力でなんとかなりそだな。ほれ」


 アラドが杖を振るうと身体が光に包まれた。全身に温かい何かが広がっていくのがわかる。息苦しさもなくなり、かすみがかかっていたような意識も次第とはっきりとしていく。


「おらのことがわかるべか?」

「……ああ、ありがとうアラド。おかげで意識がはっきりしてきたよ」

「ニシシシ。おめは寝坊助ねぼすけだがんな。起きれてよかったべ」


 そう、この子供はアラド。人とは異なる種。闇に生きる魔の眷属、魔族。アラドは魔族でありながら、この世界でもトップクラスの癒やしの魔術を行使する白魔術師だった。


 先程、緋色のドラゴンに岩の砲弾を放ったのは、アラドの双子の兄グラド。グラドは戦う術を持たないアラドを守る黒魔術師で、二人とも一緒に旅をしているかけがえのない仲間だ。


「一時はどうなるかと思ったが、正気に戻ったようで安心した」


 心から安堵したように笑いかけてきたのは、エルフの狩人イクフェス。薄く茶色がかった金髪に透き通るような白い肌、そしてエルフの特徴でもある尖った耳。森を思わせる緑の軽装に身を包み、弓を携えた細身の美しい男性だ。


 彼を見るたびにこの世界が自分が暮らしていた世界とは違う、異世界なのだと認識させられる。


「心配させてすまない。状況はどうだ?」

「グラドが牽制して時間を稼いでいるが、我々の攻撃では緋焔龍を倒すことはできんな。聖剣の力でなければ押し切れまい。行けるか?」

「ああ、アラドのおかげで体力も回復したし、ぼやけていた意識もはっきりしてきた」


 自分が何者で、何を成すためにここで戦っているのか。

 そして、自分に何ができるのか。

 大丈夫だ、自分ならば、巨大なドラゴンを相手でも十分に戦える。


「そうか。オーノウスが洞窟の各所に起爆術符を仕込んでいるはずだ。時間稼ぎのための仕込みだが、術符の起爆に合わせれば効果的な攻撃も可能だろう。ただ…」


 イクフェスは周辺を見渡して少しため息を吐いた。


「なにか気になることがあるのか?」


「起爆のタイミングは打ち合わせたのだが、設置が終わった際の連絡が来ない。奴のことだから無事だとは思うが、少し気になってな」


 周囲を見渡し、音を聞き分けるように耳を動かしている。冷静な口調を保っているが、仲間のことが心配なのだろう。切れ長の目と抑揚のない口調から冷たい印象を与えがちだが、このエルフは誰よりも仲間のことを想い気遣っている。


 自分はそんな彼の優しさが好きだった。


「……何をにやけている。なにか面白いことでもあったか?」

「なんでもないよ、イクフェス。それより、起爆のタイミングを教えてくれないか?」


 イクフェスは少し怪訝そうな顔をしたが、グラドの魔術によって光が瞬いている空洞を見据えてから答えた。


「もうすぐだな。今放っている連続魔術の後に、大きめの雷の魔術を放つ。それが――」

「わかった。援護頼む」


 イクフェスが言い終える前に走り出していた。雷の魔術と起爆術符の連携、それは何度か行ったことのある連携だ。連携の最後は自分が担うのが常。

 緋色のドラゴンとグラドが戦っている空洞まであと少し。すでに雷の魔術を放つための魔法陣は展開されている。ここだ、という位置で剣を鞘から抜き放ち、構える。


 ――聖剣よ


 イクフェスはオーノウスの連絡がないことを心配していたが、彼ならば必ず仕込みを終わらせているだろう。


 オーノウス・リュース。巨大な商業都市の闇に生きる、暗部組織の戦士。横柄で口が悪く、尊大な態度で問題を起こすこともあるが、自らに課せられた仕事は必ずやり遂げる男だ。自分は彼を信じて、ここで最後の攻撃を行う準備を整えればいい。


 展開された魔法陣に合わせるように、抜き放った聖剣へと光が集まってくる。イクフェスとギレンは放たれるグラドの魔術と緋色のドラゴンの攻撃から自分を守り、アラドは後方から、戦っている仲間に防御のための魔術を施している。


 ――あと、少し


 巨大な魔法陣からおびただしい数の稲妻がほとばしる。それでも、聖剣に収束する光に脅威を感じたのか、緋色のドラゴンは雷に貫かれ龍鱗を剥がされながらも、緋焔のブレスを放とうとこちらへ向けて巨大なアギトを開く。


「まったく、グラドもオーノウスも、すぐに無茶をするから困るね」


 赤髪の青年と子供を抱えた翼人――翼を持つ亜人が自分の横を飛び去っていく。『空の王』という異名を持つ獣人、ゾー・ハタだ。

 ギリギリまで緋色のドラゴンを引きつけていたオーノウスとグラドを、聖剣の攻撃範囲から連れ出してきたのであろう。


 これで憂いなく全力の攻撃を放つ事ができる。ゾーに抱えられたグラドは満面の笑顔で拳を振り上げ、赤髪の青年オーノウスは聖剣を構える自分に向けて叫ぶ。


「タイミングばっちしだ。ぶっ放してやれ、勇者!!」


 ――そうだ、オレは勇者だ


 呆けていた自分の代わりに戦場を繋いだ仲間の期待を裏切るわけにはいかない。人々の期待を背に戦うのが勇者だ。

 望んでこの道を進んだわけではないが、やると決めた。人々のために戦うと決めた。ならば――


「緋焔龍グラストル!!世界中で苦しむ人々を救う為…魔王を倒す為、ここを通してもらう!!」


 上段に構えた聖剣に光が集束し巨大な光の剣が顕現する。しかし、緋焔龍グラストルの口腔に蓄えられた緋色の力は溢れ出し、今までにない程に強力な緋焔のブレスが放たれようとしていた。

 勇者が光の剣を放つより早く、自らのブレスが勇者を焼き尽くす。勝利を確信した緋焔龍グラストルは自身の持つ最大の威力を誇る緋焔のブレスを解き放つべく、首を後ろに下げようとして……四方から放たれる爆発に一瞬意識を奪われた。


 オーノウスの仕込みが効いた。その機を逃すまいと、裂帛れっこうの気合と共に全力で聖剣を振るう。


「うおおおおお!」


 振り下ろされた聖剣から溢れる光は閃光となり、遅れて放たれた緋焔のブレスを飲み込む。



 緋焔のブレスをかき消した聖剣の一撃は、やがて光の奔流となり――巨大な空洞を埋め尽くした。