第27話

 未だ、体調が戻っていないのは、フードから覗く口元をみるだけでもわかる。血色の悪い唇を震わせながら、彼女は懸命に身体を起こした。


「魔術は、マナに干渉して変質させる術。レイル大森林は、自らを大きくするために……大規模な、魔術を行使している。そういう、ことですね」

 

 少し辛そうにしながら、イクフェスの言葉から導き出された答えを述べる。


「目を覚ましたのね。よかったわ。でも、無理しちゃダメ。もう少し横になってなさい」

「はい……すみません」


 アトレイアはすっとアイシャの傍らに座り、優しい手つきで彼女を横たえてから、彼女の乾いた唇を湿らせた布で拭った。


「彼女が言ったとおりだ。レイル大森林は大規模な魔術を行使している」

「魔術には核となるものが必ずあるわ。それは人かも知れないし、術を起動させ維持する陣かも知れない」

「その核さえ潰してしまえば、うごめく森は止まり、蝕まれた地を元に戻すこともできるだろう」

「なるほどッスね。その核がある場所は、やっぱあそこッスか?」

「察しの通りだ。ハガロの砦……おそらく、砦内のどこかに核となるものがあるだろう」


 ハガロの砦――この地に迷い込み、大量の魔物に遭遇した場所。そして現在、その砦から離れられないように惑わされている。


「わかりやすいッスね。けど、それだけに……」

「ああ、手強い。一度、私とアトレイアで調査をしようとしたのだが、二人では対処しきれん程の魔物が溢れていた。それに砦の内部から感じる気配は、尋常ではなかった」

「それで、私達に声をかけたのか」

「そうだ。ラングリーズの勇者の力を借りられれば、核に近づくこともできると思ってな」

「このままじゃお互いここから帰れないし、ここは一つ共闘ってことでどうかしら?」


 イクフェス達の言葉に、アルバートと司は思案する。俊彦は話を聞いた時になんとかしなければならないと考え、二人に協力を求めた。二人が首を縦に振らなくても、自分だけでも彼らに協力するつもりだ。


「協力することは、やぶさかではない。しかし、伝説に詠われる程の二人が脅威と感じる敵を相手にするとなると、少々不安ではあるな」

「そーッスねー。多分ッスけど、もうニ、三日待てばラングリーズから増援がくると思うッスよ。トシぽん達が出発早々行方不明ってんで、由那っちが探しに行ってるスから。仮に由那っちが同じようにここに迷い込んでも、戦力は大分アップするッス」


 司の言う通り、急いで危険を冒すよりは援軍を待ってから戦う方が無難だろう。


「弓の勇者か。確かに彼女がくるのを待てば勝率は大きく上がるだろう。しかし――」

「ここはうごめく森の腹の中よ。時間が経つ程に力を奪われていくわ。魔物も、無限に近いくらい生み出せるわけだし」

「そうなんスね。あんま力を奪われてる感じはしないッスけど……」

「まあ、アタシ達や勇者はそうでしょう。けど、そっちのオジサマやお嬢ちゃんは違うわ」

「わ、私の……事は気にせず……に…………大丈夫、ですから」


 アトレイアの言葉に反応したアイシャが、震えながら身体を起こす。どうみても、衰弱している。


「いいから、アンタは寝ときなさい。アタシとしては、どっちもいいんだけどね。弱ったお嬢ちゃんを守りながら戦っても、弓の勇者を待っても」

 厳しいことを言いながらも苦しそうなアイシャを優しく撫でていることから、彼女を見捨てる気はないのだろう。


「……マルドアからの援軍は望めないか?」

「難しいな。私たちが帰るまで、ラザ河は渡らないようにきつく言いつけている。一週間は動くことはなかろう」

「そうか。君達から見て、勝ち目はあるか?」


 アルバートの問いにイクフェスとアトレイアが口をつぐむ。


 アルバートは彼らが言う通り、この森に入ってから除々に体力……いや、生命力を奪われているのを感じていた。最初に魔物に囲まれた時から、身体がうまく動かず思わぬ苦戦を強いられてしまった。

 エルフ達は種の特性として森や自然に対して強い加護を持っている。勇者は召喚の際に世界に対して優位になる加護が付与されると聞いている。事故によって知識が付与されなかった俊彦にも、加護は付与されているようだ。

 彼らがこのうごめく森の中で、生命力を奪われることはないだろう。


 今も、身体は重い。。アトレイアが施した結界に入ってからは少しましになったが、それでも生命を蝕む感覚は消え去ってはいない。元より体力の少ないアイシャは自分よりも厳しい状況にあるはずだ。


 伝説に詠われる二人をして討伐が難しい相手。俊彦のことを知っているかはわからないが、準勇者である司と、若い時分に多少を名を挙げた騎士が加わったとしても、戦況が大きく変わるとは思っていないはずだ。

 すでに立ち上がることさえできないほどに衰弱した、アイシャという荷物を抱えることにもなる。


 それでも、俊彦達に声をかけてきたのは彼らが持つ優しさ故だろう。

 魔王の侵略以来、人間によって一方的に排斥された亜人が、そのような気遣いを見せている。彼らの気持ちに甘えることが、果たして正解なのだろうか。


 アルバートは目を細めて何かを考えているイクフェスを見る。次いで、優しくアイシャを抱くアトレイアを見る。

 最後に自分よりも、死に近いアイシャを見る。アルバートの視線の意味を理解したのであろう、アイシャは弱々しく頷いた。


「この森の脅威は、放っておくことはできない。だが、私とアイシャの為に皆を危険に晒すわけには――」

「オレは――」


 アルバートの言葉を遮るように、俊彦が声を上げる。


「オレは、自分が生きる為に剣を取ったんじゃない」

 俊彦の言葉に、アルバートが閉じかけた口を開く。

「……私たちの為に、勇者という力を失うわけにはいかん。援軍を待とう」

「わ、私も……それがいいと……思います。実は、元気が取り柄だったりするので、大丈夫、です」

「……今までは世界のことを知らないから、詳しいアルバートさんやアイシャさんに任せてたけど、今回は違う」


 言い切った俊彦は、アルバートとアイシャを交互に見る。


「わからないことなんて、ない。倒すべき敵がいる。守るべき仲間がいる。なら、やることは一つだ」

 俊彦の言葉に応えるように、携えた聖剣から淡く光が漏れる。


「戦おう。二人が待つというなら、オレだけでも戦う。ここで逃げたら――」

 血に沈むのだ。王都を襲撃してきた魔族を倒した後に見た、夢。

 夢の光景は、今でも鮮明に思い出せる。次々と首を落とす闇、血に浮かぶ仲間の首。


 例え、自らが血に沈むことになるとしても、逃げることはできない。


「ま、そーッスよね。弱った仲間見捨てて安全策なんて、勇者じゃねーッス」

 俊彦の言葉に司が賛同の声を上げる。どこか飄々ひょうひょうとしていて掴みどころのない司から、勇者という言葉が出たことには驚いたが、彼も勇者だということだ。


 人々の期待を背に。守るべきものを守るために。誰もが恐れる脅威に立ち向かう。それが勇者というものだろう。

 俊彦と司は気持ちが通じあったように、互いに笑みを浮かべる。


「フフ。今代の勇者ちゃんは、熱いのねぇ。そういうの嫌いじゃないわ」

 アトレイアが二人を見て微笑む。犠牲になろうとしていたアルバートとアイシャですら、二人の勇者の言葉に笑みを零していた。


「剣士が二人と弓兵が二人、後方支援の魔術師が一人。バランスは悪くない。勝てない戦いじゃないさ」

 イクフェスが仲間を見渡して、戦力を分析する。彼の言う通りバランスは悪くない。全員が一丸となって戦えば、どんな脅威でも打ち払えるはずだ。


「皆で力を合わせれば、きっと勝てる! 行こう!」

「え、もう行くッスか?」

「あれ?」


 今がその時と勢いよく号令をかけたが、その勢いを止められてしまった。こういうのは勢いが大事だ。賛同を得ようと仲間達を見ると、各々が俊彦を見つめたまま固まっていた。

 微妙な空気が流れる。


「決断が早いのは悪くないが、無策で強敵に挑むのは危険だ、勇者。まずは持てる戦力を把握し、対策をたてねばな。それに、今は魔物にとって有利な夜の時間だ。準備もあるだろうし、敵に挑むのは夜が明けてからの方がいいだろう」

「あ、はい……」


 勢いで言ったことを冷静にたしなめられて、恥ずかしくなってきた。イクフェスが場を仕切り始めたので、俊彦は時がくるまで静かにしていることにした。