第31話

 砦の壁が消え去ったことで、枷から解き放たれたように無数の触手が暴れ始めた。触手が動くたびに、砦の壁が砕け散り、叩きつけられた地面は深く抉れて弾け飛んぶ。

 丸太のように太く、十数メートルはあろうかという巨大な無数の触手が暴れまわり、砦の周辺を破壊しながら、少しずつ移動を始めていた。


「あ……あぁ……」


 アイシャは目の前に広がる光景に絶望し、力なく膝を落とした。あのような破壊の中では例え勇者であろうと、生きていられるはずがない。

 魔王討伐の旅は潰えた。王城から出て、僅かな時間で。最初の目的地にすら、たどり着くことなく。


 元より無理があったのだ。神託が降りた等と言ってはいたが、経験も積んでいない勇者を少数で旅に送り出して何がしたかったのか。

 これが真に神託だというのならば、神はラングリーズを見放しているとしか言いようがない。


 これでは、何のために……何のために、召喚の巫女は命を落としたというのか。

 

 せめて一矢報いようと心を振るい立たせるが、触手の群れは目前に迫っていた。なにをするにも、もう遅い。逃げることも戦うこともできない。


 隣で触手の群れを睨んでいたアトレイアは、剣を引き抜き鞭のようにしならせて臨戦体勢をとった。


 しかし、もう手遅れだ。一際太く禍々しい触手が、今にも振り下ろされようとしている。


 終わりが迫っている。何もできなかった。ただ、後悔だけが頭の中を支配していた。

 カリーナに勇者を見極めてやる、などと生意気なことを言って強引に旅に同道したが、足手まといでしか無かっただろう。自分がいなければ、この窮地に彼らを巻き込むことも無かったかも知れない。

 

 ――慈愛の神ファラの御下の行くことができたなら、二人に謝ろう。


 時がゆっくりと進んでいる。振り下ろされる触手が徐々に迫っているのが見える。触手が落とす巨大な影がアイシャを覆い尽くした。


 ――終わり、ですね


 召喚の巫女としての役割も、勇者と共に旅をする役目も、何一つ果たすことはできなかった。

 所詮はその程度だったのだ。カリーナやアステアのように国の礎となって命を懸けたわけでもなく、ただ、自らのわがままの末での犬死だ。


 目を閉じて、終わりを待つ。鳴り響く破砕音も、かたわらにいるアトレイアの叫び声も、全てが遠い。


 ――るな


 遠くに聞える喧騒の中で、妙に通る声があった。


 ――めるな!


 その声は次第に大きくなり、はっきりとした音でアイシャの耳を打つ。


 ――諦めるな!!


 今度ははっきりと聞こえた。死を覚悟して引き伸ばされた時間の中、全てが遠い感覚の中で、その声だけは鮮明に届いた。


「諦めるな! オレ達はまだ負けちゃいない!!」


 味方を鼓舞する声に、引き伸ばされた時間が戻る。開いた目に映ったのは――


「おおおおおおおおお!!!!」


 仲間を守る為に、立つ背中があった。見た目以上に大きな背中は、全てを守ってみせると語っていた。仲間を傷つける全てを退ける雄々しさがあった。


 仲間を背に戦う男が剣を振るうたびに、巨大な触手が弾け飛ぶ。数えるのも億劫になるほどの触手を相手にして一歩も退かずに剣を振るい続ける。


 剣は、振るわれるたび、迫る脅威を斬り裂くたびに、光を増していく。

 眩く輝く剣は、迫る触手を弾き、斬り裂き、両断する。やがて光の剣は一振りで多数の触手を斬り裂くほどに、その光を強くしていく。


「絶対に……逃げない! オレが守ってみせる!!」


 決意を言葉に剣を振るう。光は天に届かんばかりの輝きを発していた。


「勇者……」


 守るべき者を背に、背に負う者の期待を糧に、共に戦う者に勇気を与える者。


 ――ああ、すべてはこの時のために


 アステアの死も、自らの未熟も、すべて。この少年が、本当の勇者となるための――


 自らの力を天に示すように、振りかざされた勇者の剣は一際眩く輝いた。