第34話

 触手の塊は動きを見せない。完全に沈黙していた。

 俊彦が振るった聖剣の光に浄化されたのか、レイル大森林に満ちていた異質なマナも消え去っている。

 周囲を埋め尽くすほどいた魔物もその数を減らし、数える程しか残っていない。

 

 なんとか、勝てた。アトレイアは右手に構えていた剣を腰にかけて、一息ついてから状況を確認する。

 

 聖剣の光によって、巨大な触手の塊は身体のほとんどを吹き飛ばされて動きを止めている。活動するための核を撃ち抜かれたのだろう、これ以上動くことはなさそうだ。

 聖剣の光が通り過ぎた跡には、なにも残っていなかった。そこそこに規模の大きなハガロの廃砦も三分の一程が消し飛んでいる。

 

「凄まじいわね」


 たったの一撃で戦場の殆どを消し去る力。一人で城でもとせそうな程に強力な力。それほどの力を振るったにもかかわらず、倒れることもなく立っている勇者の背に、期待を抱かずにはいられなかった。

 この力があれば、長く続いた魔族との戦いを終わらせられるのではないか。腰の重いラングリーズが動きを見せたのも納得ができる。


 他の国と国交を断ち、自領である大森林を守るだけであったマルドアも、動く時がきたのかも知れない。


「ま、先のことは戻ってから考えましょうか。とにかく今は……」


 帰ってゆっくりと休みたかった。前線には出ていないが強力な支援魔術を行使し続けた。アイシャを守るために剣を振り回した身体は重く、今すぐにでも腰を下ろして休みたい気分だが、まだ気を抜くには早い。

 まずは、近くに姿が見えないアルバートとイクフェスを探そうと、もう一度身体に力を入れる。

 ふと前を見ると、アイシャが立ち上がって俊彦の元へ駆け寄っていた。アイシャのことは俊彦に任せて、自分はもう一仕事しようと二人に背を向けて歩きだす。


「トシヒコ様!? トシヒコ様!!」


 アイシャの悲痛な声に踏み出そうとした足が止まる。振り返ると、ぐらりと揺れた俊彦の身体が、それを支えきれないアイシャを巻き込んで地面に倒れるところだった。

 

 急いで二人の下へと駆け寄る。


「トシヒコ様!! ああ、どうして……」


 二人に近づいたアトレイアは目を見開いた。倒れ伏した俊彦の顔は蒼白で額からは玉のような汗が流れ出している。呼吸は荒く、時折咳をするようにして口から血を吐いている。

 明らかに異常だ。いったいなにが――


「あらぁ、聞いてたよりずっと硬いわねぇ。勇者って思ったより厄介。ガルンがやられたってのも嘘じゃないみたいねぇ」


 動きを止めた触手に腰をかけてこちらを見下ろしている女がいた。

 白く輝く銀髪に、不健康なまでに青白い肌。昆虫の外殻を思わせるような鈍く輝く黒い鎧を身にまとっているが、肌のほとんどが露出しており、その淫靡ともいえる扇情的な身体を見せつけるように最低限の場所しか隠していない。

 白目が黒く瞳は赤い。明らかに人とは異なる女は、喜色を含んだ声で笑う。


「アハハハ。でも、そいつももう終わり。そっちにいる女も……あれ?姉さまじゃない。なにしてんの?」

 女性はアトレイアを見つめながら不思議そうに首をかしげる。

「そっか、アンタの仕業だったのね、この森。嫌らしい感じがすると思ったわ」

「姉さまに喜んでもらえたようで私も嬉しいわぁ」

「誰も喜んでないっての」


 言葉を発すると共に、腰に下げていた罪人の剣ガリアンソードを振るう。


「もう、いきなり激しいですわぁ、姉さま」

 アトレイアの振るう蛇腹の剣をなんなく避け、動きを止めた触手の前に降り立つ。

 女が着地する瞬間を狙うように矢が射掛けられ、銀閃が走った。しかし、女の背中から生えだした巨大な蜘蛛の足のような物がその全てを防ぐ。


「もう、せっかく姉さまと楽しく話しをしてるのに、せっかちな人たちねぇ」

「すまんな。私は我慢が苦手な方でな」


 不意を打って繰り出した剣撃を難なく防がれたアルバートは、油断なく剣を構えて女を警戒する。同じく矢を射掛けたイクフェスはアトレイアの傍らに立っていた。遅れて司が駆けつけてくる。


「皆さんご無事ッスかー……あ、リスたんっすね。なにしてるッスか?」


 駆けつけた司は、いつもの雰囲気を崩さず女に挨拶をした。女も司の姿を見て顔を崩す。


「あらあら、ツカサじゃないの。ダメよぉ、子供がこんな場所にいちゃ」

「リスたんも、ここにいちゃダメな人ッスよね。死んでもらうッス」


 司は躊躇することなく、女に向けて矢を放ち、仲間から遠ざけるように戦いを始めた。


「魔王軍四天王の一人、リスタ・アズラール。奴がうごめく森を作りだした黒幕というわけか」

 弓を構えて一歩前へと踏み出したイクフェスは、俊彦の状態を見て目を細めた。

「魔神の毒にやられたか。急がねば危険だな。アトレイア、支援を」

「はぁ……そろそろ魔力が尽きそうなんだけど、仕方ないわね」

「私にも頼む。前衛なしではアレの相手は厳しいだろう。だが、勝てない相手ではない」

 

 アルバートとイクフェスは互いに頷き、司と交戦中のリスタの元へと駆けていく。アトレイアは二人の背に手を向けて支援魔術をかけた。


「トシヒコ様……しっかりしてください……」

 アイシャに抱かれた俊彦の状態は良くない。鞄から出した毒消しや回復薬ポーションを使って毒を癒そうとしているが、魔神の毒はそんな物で消せるほど優しくはない。

 マルドアに戻れば、毒を抜くこともできるはずだ。俊彦の状態を見るに時間はあまり残されていない。ここは先に俊彦達を連れてマルドアへと撤退するべきだろう。

 

「お嬢ちゃん、逃げるわよ。勇者ちゃんは私が担いでいくからついてきて」

 撤退を判断したアトレイアは素早く俊彦を担ぎ上げた。戦況を確認しようと戦場に目を戻す。なにかが、おかしい。

「リスタが消えた……?」

「ダメですよぅ、姉さま。私を置いて帰ろうなんて、寂しすぎますわぁ」


 いつの間にか目の前に迫っていたリスタから逃げるように、アイシャの首根っこを掴んで後方に飛び退く。


「うーん、一人で全員と遊ぶのは大変ねぇ。あいつに頼るのは癪だけど、使わせてもらおうかしら」


 リスタはどこから持ち出したのか黒く輝く宝玉を手にしていた。薄く笑うと、宝玉に魔力を込める。

 魔力を纏った宝玉は黒く輝きながら落下し、やがて地面に吸い込まれるようにして消えた。


「なにを……」


 黒い光を飲み込んだ地面がかすかに揺れた。除々に揺れを大きくする大地からは禍々しい黒い光を放っている。光をかき分けるように振動する地面から手が、頭が生えだしてきた。


生ける屍アンデッド……? 厄介な」

「それだけじゃないわよ、姉さま」


 リスタが喜色を含んだ声を上げる。同時に、動きを止めていた巨大な触手が黒く染まり、徐々に脈動し始める。

「……なんてこと」


 俊彦の光によって動きを止めたはずの触手が、再び命を得たように動き始めた。