第40話

 そこは不思議な場所だった。

 巨大な樹木に囲まれ、燐光が舞う幻想的な森。

 昼間でも薄暗く魔素と瘴気に包まれたレイル大森林と対をなすような場所。


 マルドア大森林――


 古くから、森の賢人と呼ばれる種族、エルフが住まう地である。


 争いを嫌い静謐せいひつを好むエルフはマルドアの森から出ることなく、静かに暮らしている。

 現在は魔王の侵略と共に各国で迫害を受けていた獣人達を受け入れ、共に暮らしていることからマルドアは亜人達の国となっていた。


 マルドアに住まう亜人達は、マルドア大森林の深部にある『千年樹』と呼ばれる大樹の周辺に住居を構えていた。樹上に家を建て、木々の間に橋を渡して繋げた街は『マルドア樹廊街じゅろうがい』と呼ばれている。


 俊彦は高い木々の間を網の目のように走る橋を歩いていた。燐光に照らされた森は昼夜の区別がつきにくいが、街は静けさに満ちており、今はおそらく夜なのだろう。


 戦いの途中で魔神の毒に冒されて意識を失っていた。目を覚ましたのは、つい先程だ。


 一日以上眠っていたらしいことは、側についてくれていたイクフェスから聞いた。魔神の毒も抜け、傷の治療も終わっていたようで身体に異常は見当たらない。

 少し身体を動かしたいとイクフェスに相談したところ、街を見てきてはどうかと勧められたので、こうして一人で街を歩いている。


 どこへ行くでもなく、光が舞う幻想的な街を歩いて行く。

 木々の間を抜ける心地よい風が肌を撫でる。色とりどりの燐光が舞う景色は、いつまでも飽きることなく見ていられた。


 豊かな木々に色とりどりの花。宙を舞う燐光は妖精が踊っているようだ。争いの気配など微塵も無い森を歩いていると、心が洗われているような気持ちになった。


 ――森はいいね、トシくん! また来ようよ!


 ふと、声が聞こえた気がした。懐かしい、幼馴染の声。あれは、いつだっただろう。学校の遠足だったか、二人で一緒に山に登った時だったか。

 あまり外に出たがらなかった自分を、事ある毎に連れ回した幼馴染。自然に触れるのが好きだったな、と幼馴染の顔を思い出しながら、いつかここに連れてきたいと思った。


「連れてこられるわけ、ないのにな」


 手に触れた燐光が肌に吸い込まれるようにして消えた。ゲームや漫画が好きだった幼馴染がここにくれば、手に負えないぐらい、はしゃぐだろう――でも、その未来がくることはない。

 それでも、あるはずのない未来だとしても、たまに想像するくらいはいいかと、幻想的な森の中を歩く。



 ――どれくらいの時間歩いていたのだろう。気がつくと景色が変わっていた。


 数多の色が舞う、賑やかともいえる景色をした樹廊街じゅろうがいとは違う。


 一面を覆うのは白――


 草も樹も大地ですらも、白く輝いている。見上げた空ですらも、白い。目に見えない空気や、音でさえも――


 神聖な空気に包まれた森は、神聖さ故に全てを拒絶しているようだった。


 ――光が痛い


 目を焼く程の光ではない。それでも、目を、肌を、脳を、魂を、チリチリと焼いているような感覚がつきまとう。


 入ってはいけない場所に入り込んでしまった。ここから早く出なければならない。早くでないと、叱られてしまう。なぜか、そんな気持ちが高まってくる。

 来た道を戻ろうと振り返る。白い。

 前を向いても、後ろを向いても、横を向いても、上も、下も――


 白から離れようと走る。しかし景色は白のまま変わらない。周囲はここにいる自分を咎めるように、神聖すぎる白い光を放っている。


 異常な光景だ。焦りばかりが募るが、こういう時こそ心を落ち着けることが大切だ。

 景色に惑わされないように目を閉じる。荒くなった呼吸を整えるために、胸いっぱいに息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 自分が呼吸する音が聞えた。続くように、風が樹を撫でる音。そして、小さく聞える声。


 ――こちらへ


 俊彦の前に一人の少女が現れた。

 橙に近い桃色の髪をツインテールにした、幼い女の子。緑色に染められた布の服の上に、茶色い革の胸当て。首には橙色の長い布をマフラーのように巻いている。腰には矢筒、手には弓を持っている。その出で立ちから、狩人だろうと思った。


 じっと少女を見つめ、世界に色が灯ったことに安心する。


「こちらへ……」


 少女は少し声を震わせながら俊彦を誘う。首に巻いた布で顔が隠れているが、上目に俊彦を見る目には怯えの色が見えた。


「うん。ついていくから、怖がらないで」


 俊彦がそう言うと、少女は驚いたように目をパチクリと瞬かせた後、顔を赤らめた。


「こ、怖くなんかないです。つ、ついてきてください」


 恥ずかしいのか、耳まで赤く染めた少女は小走りに白い森を進んでいく。見失わないように追いかけようとしたら、自分で気づいたのだろう、ハッと振り返って更に顔を赤らめながら俊彦が追いつくのを待っていた。


 恥ずかしさからか、布で顔の殆どを隠した少女は、俊彦が追いついたのを確認してから、歩調を合わせてゆっくりと歩き出した。