第45話

 魔法使いと名乗った老人はパイプの灰を落としてから、コトコトと煮立ち始めたスープをかき混ぜた。

 有り物で作った雑多なスープに、老人はすり潰した香草を加えていく。煮立ったスープから、食欲をそそるなんとも言えない香りが漂ってきた。


「うむ。ええ感じじゃ。ヌシも……いや、無粋じゃったな。さて、もう少し味を染み込ませた方がよいかのぅ」


 自分に気を遣ったのか、老人はすでに出来上がったスープを火から少し遠ざけてから、蓋代わりの木の板をのせた。色や匂い、温度を感じる事はできるが、食べることのできない自分をもどかしく思いながらも、美味しそうなスープの匂いを観測する。


「さて、どこまで話したかのぅ。勇者がマルドアを旅立つところじゃったか」


 魔法使いと名乗った老人も、話に登場して面白くなってきたところだ。スープを食べたいであろう老人には悪いが、早く続きを聞かせてほしい。


 マルドアの夜が、勇者達の絆を深めたのは間違いないだろう。信頼しあう旅の仲間。戦いや冒険を経て、その絆はより強いものとなるはだ。しかし――


「うむ。ヌシの言いたいこともわかる。魔王を封じし勇者の仲間……共にラングリーズを旅立った者達は、そこに名を連ねてはおらぬな」


 勇者と共に魔王に挑んだ仲間。最初に聞いたのは、その仲間達と共に伝説に詠われる緋焔龍との死闘。

 ドワーフの戦士ギレン。エルフの狩人イクフェス。黒魔術師グラド。白魔術師アラド。闇に生きる戦士オーノウス。翼人ゾー。そして、勇者である巽俊彦。


 ラングリーズ王国の騎士アルバート・ナイセルの名も、召喚の巫女アレクシア・ラングリーズの名も、そこには無かった。


「急くでない急くでない。勇者の旅はまだ始まったばかりじゃて」


 そう言うと、木の板を外して手に持った木製の椀にスープを注ぐ。

 暑そうなスープに息を吹きかけながら、老人は思い出したように語り始める。


「スープを見て思い出したわい。あれは確か、勇者の旅立ちを見送った後のことじゃ――」


***

「ふぃー。二日酔いにはきのこ汁に限るのぅ……」

「ミノ爺、なにやってんだー?」

「だー?」

「スープ美味しそう……」


 二日酔いで痛む頭を押さえつつも、威厳をもって勇者を送り出したグランフェリアは、樹廊街じゅろうがいにある食堂で山菜を煮込んだスープをすすっていた。

 温かいスープで頭痛が和らぎ始めたグランフェリアの元にやってきたのは、弓の勇者ユナ・タケウチと獣人の子供、そしてエルフの若い娘だった。


「由那ちゃんか。その名前で呼ぶのは勘弁して欲しいんじゃがなぁ。ワシ、グランフェリアって呼ばれるのが好き」

「そっか! でもミノ爺はミノ爺だからなー」

「なー!」

「スープ……」


 レイル大森林での戦いの後、何故かマルドアに居着いた由那はマルドアの獣人……主に子供と仲良くなって森を走り回っていた。


「由那ちゃん、帰らんでええんか?」

「ツカちんが頑張ってるから大丈夫! あーしの仲良しパワーをもっと広げるまでは帰らないよ! んじゃ、ミノ爺またねー!」

「またなー!」

「あれ、スープ食べないの!?」

「……一緒について回っとったの、族長の娘じゃったような。ま、悪いことでなし、大丈夫かのぅ」

 

 元気な子どもたちを見送って再びスープをすすろうと、木製の椀を手に……持てなかった。

 何者かに首根っこを掴まれて引きずられていく。


「なにゆっくり汁すすってんのよ。行くわよミノル」

「んなっ、なんじゃ! 散々酒に付きおうたじゃろ! そろそろワシを自由にしてくれぃ!」

「この用事が終わったらね。ったく、すましたツラして腹が立つ。ほら、さっさと立って自分の足で歩きなさい!」


 手を離されて自由になる。機嫌が悪いのか、アトレイアはズカズカと先に歩いて行く。

 この隙に逃げようと転移魔法陣を展開しようとしたが、後ろも振り向かずに放たれたアトレイアの魔術によってかき消された。


「悪あがきしてないでさっさと来なさい」

「……こりゃ、逃げられんか」

 

 観念したグランフェリアは、渋々という体でアトレイアの後について歩いた。



 しばらく歩くと、マルドア樹廊街じゅろうがいの外れに辿り着く。マルドアの中心地から遠くはなれた場所。

 そこはもはや街ではなく、少しだけ森が開けた場所。そこに木造の粗末な小屋が建てられていた。


「なんじゃ、イクフェスの奴はまだこんな場所に住んどるんか」

「卑屈なのよ。んで、素直じゃ……ない!!」


 小屋が壊れるのではないかという程の勢いで、建てつけられた木製のドアを蹴り開ける。衝撃で蝶番が歪み、木製のドアがグラグラと揺れていた。


「乱暴だな。家が壊れると困るのだが」

「うっさい。壊れちゃえばいいのよ、こんな家」


 それほど広くない小屋には、生活に必要な最低限の物しか置いていないようだった。マルドアの英雄とまで呼ばれる男の家が、未だこのようなボロ小屋であることに嘆息する。


「質素なのは良いが、マルドアの英雄がこのような暮らしは感心せんのぅ。いくら『忌み名』を持っているとは言え、もそっとなんかあってもよかろうに」

「私が望んでここで暮らしているのだ。ミノルにとやかく言われることでもないさ」

「それもそうじゃな。んで、ヌシはこれから旅にでも出るんかいの?」


 小さな部屋の隅には、荷物が入っているのか膨らんだ肩掛けの鞄に、丁寧に手入れされた矢が詰められた矢筒。そして、新しい弦が張られた弓が矢筒に立てかけられていた。


「……ああ、これか。いや、旅には出んよ。魔族の脅威がマルドアにも近づいている中で、森を離れるわけにはいかんからな」


 イクフェスの返答に、グランフェリアとアトレイアが目を合わせてため息を吐く。


「ホント面倒くさいわね、アンタ。もういいわ。邪魔だから出ていきなさいよ」

「出ていく? 出ていくと言ってもな。どこに行くというのだ?」

「その荷物持って、行こうとしてた所に行きゃいいじゃない」

「……」


 イクフェスは俊彦と共に戦い、可能性を見た。そして足りない物を自分が補えるとわかっていた。

 一度は彼らの力になろうと準備もした。しかし――


 『宝樹の要』が近いことからか、今までは侵食の影響で魔物が増えることはあっても、マルドア近辺に魔族が侵攻してきたことは無かった。しかし、先の戦いではマルドアにほど近いレイル大森林で魔族が暗躍していた。


 そのような状況で戦力に乏しいマルドアから自分が抜けることは、どうしてもできなかった。


「無理だな。マルドアは、もう安全ではない」

「だからなに? アンタがいれば安全なの?」

「少なくとも、戦力としては上位だ」

「馬鹿馬鹿しい。つい最近二人で死地に囚われたばっかでしょ。広いマルドアを個々の力でどうこうしようなんて無理よ」

「だからといって何もしないという訳にはいかんだろう」

「ああもう、面倒くさい! アンタの力は他に使い道があるって言ってんの! わかってんでしょ?」

「……」


 アトレイアに言われたことは自分でも理解している。それでも、自分がいない間に森に脅威が迫ったら、という恐怖で一歩が踏み出せないでいた。


「ま、こうなることはわかってたんだけどね。アンタ、ヘタレだし」

「自覚している。しかし、それとこれとは別問題だ」

「そうでもないじゃろ。マルドアの守りが心配なら、ワシの弟子つけようか? 蒼紅そうく遊撃隊ゆうげきたいっちゅう、ちょっと名の通った冒険者パーティにおるんじゃが」

「アクセル・クロフォード率いる最上位冒険者パーティか」

「あいつらならマルドアによく来てたし、ユグドラ様にも認められてるから丁度いいかもね」

「うむ……」

「あとは、ユスティア・バレスタインがおるんじゃからバレスタインの警戒ラインと協力すればええ。そうすれば、おヌシ一人が懸念している以上の守りは可能じゃな」

「あ、それならもう話し通ってるわよ。そういうことで、どうなのイクフェス」

「……」


 矢継ぎ早に自分の主張を崩されたイクフェスは、それでも眉間に皺を寄せて口を結んでいた。反論することもできず、所在なく漂ってい視線がまとめた荷物へと向く。


「ふふーん、じゃあ最後のひと押しだねぇ。ヘタレのイクフェスを動かすには強引にってね」

「最初怒っとったのに、楽しそうじゃなおヌシ」

「こいつをいじれることなんて少ないからねぇ」

「勘弁してほしいな。まだ、何かあるのか?」

「アンタ、マルドアから追放ね」


 アトレイアの言葉にイクフェスが目を見開いた。自分が追放されるいわれなどないはずだ。驚愕するイクフェスを尻目にアトレイアはしてやったりという顔で続ける。


「長老衆の話し合いで決まったことよ。過ぎた武力は厄を呼ぶ。てことで、勇者ちゃんに押し付けることにしました」

「……」

「だんまりしても無駄~。マルドア長老衆代表としてダークエルフの長、アトレイア・ハルギルが命じる」

「今すぐ出ていきなさい、『森の子』イクフェス・ラシュルヌ」


 冗談めかして伝えているが、国を追放するなどただ事ではない。しかし、追放という厳しい言葉を受けたイクフェスは先程までの固い表情を崩して微かに笑みをこぼしていた。


「追放、か……」

「ええ、追放よ」

「ここにいられないと言うなら、仕方ないな」

「そうね。だからさっさと行きなさい」

「……」


 イクフェスは無言で荷物を背負い、外へと歩いていく。


「マルドアに幸あれ」


 一度だけ振り返り、一言だけ告げ、歩いて行く。


「イクフェス、酒!」


 アトレイアの声に振り向かずに手を振って返し、イクフェスは立ち止まること無く森へと消えていった。


「こんだけ準備しとったんなら、ワシ、こなくてよかったんじゃね?」

「英雄の見送りが一人だけってのも寂しいでしょ。付き合ってくれてありがとね、ミノル」

「……その名前で呼ぶない」



 イクフェス・ラシュルヌはマルドアの英雄である。しかし、同時に『ラシュルヌ燃える木』の忌み名を持つ異端でもあった。

 エルフは皆、森の子だ。マルドアから追放される者は、森の子ではない。


 『森の子』イクフェス・ラシュルヌ。


 アトレイアに告げられた言葉を反芻する。それは、マルドアの森を背負って外で戦え、という長老衆の期待の言葉だった。


 アトレイアの言う通り、自分はヘタレなのだろう。こうして、後押しされなければ一歩を踏み出すこともできない。勇者と共に行く旅で、少しでも勇気が備わればいいな、と自嘲じみて笑う。


「極上の酒を探さなければな」


 マルドアの英雄イクフェス・ラシュルヌは一人、マルドア大森林を後にした。