WEB小説

第21話/全45話

紅蓮の顎

 レーベンガルズの中央南部に広がる広大なダルバン砂漠を抜けた先、大陸を横断するように流れるフェアトレーネ川の河口がある海にほど近い場所に、大きく栄えた街がある。


 自由都市エイザン。


 大陸最東部の山岳地帯にある、武器や工芸品の生産が盛んなドワーフの国『工業国家ガリンガ』、そしてガリンガから北に位置する『魔導国家イセン』から流れる武器や工芸品、魔具が集まり、フェアトレーネ川を中心とした交易路を通じて集まる食料、特産品。さらには海洋航路を差配しており、国を閉じているヤマト皇国と唯一交易をすることができる、唯一の都市でもある。


 エイザンはその名が示す通り、自由を標榜する商人達によって作られた中立都市である。代々街を仕切っているのは『商工ギルド』と呼ばれる商人や工業を生業とする者達の組合である。

 商工ギルドはレーベンガルズ全域に支部があり、商人達を管理している。本部はエイザンに置かれており、現在はエイザン市長に就いている、カレン・グッドマンという女性がギルド長を兼任していた。


 世界各国から人と物が集まるエイザンの街は、誰もが憧れる都会であった。着飾った者、将来を夢見て汗を流す若者、活気あふれる無数の商店や飲食店が掲げる魔導灯によって夜も灯りが消えることがない、眠らない街。他の国のどの都市よりも、明るく輝く街。


 そして――光の下には、必ず影が落ちる。エイザンにもまた、影があり、闇に生きる者がいた。


「双方動き出した。二日後にはぶつかるぞ」


 行き交う人混みから男とも女とも言えない声が聞こえる。声の主の気配はしない。目深くフードを被った細身の男は、露天で売っている貝殻をあしらった髪留めを手に取りながら、口元を動かさずに自分だけに届いているであろう声に答える。


「女は?」

「元気だ。いまのところは」

「ふーん。ギルドの調子はどうだい?」

「良くも悪くも。残りは特に……ああ、そういえば、それをかしらに」


 フードの男が手にした髪留めに小さな紙片が挟まっていた。露天を出している中年の女性には二人の声は聞こえていないようだ。フードの男と並んで露店を見ているカップルも、二人のやりとりは聞こえていない。互いの声は互いにしか聞こえていないようだ。


「なんだこれ」

「渡せばわかる。ではまた」


 フードの男にだけわかるよう、一瞬だけ声の方向に気配が浮かび、消えた。フードの男は自分に仕事が押し付けられた事を悟り、ため息を吐き、懐から小銭の入った袋を取り出した。


「おばちゃん、コレいくら?」

「お! お兄ちゃん目が高いねぇ。彼女へのプレゼントかい?」

「ま、そんなとこ」

「じゃ、おまけして5ギルだね。いつもは10ギルで売ってんだけど、プレゼントだって聞くとついつい安くしちゃうわ」


 サービストークが過ぎるな、と思いながら袋から代金を取り出して露天商の女性に渡す。


「包もうかい?」

「いや、いいよ。自分で付けてあげたいからさ」

「そうかいそうかい。彼女を大事にね」

「あいよ! おばちゃんも元気でな!」


 笑顔で手を振る露天商の女性に会釈して立ち上がる。髪留めをなくさないように懐に入れようとして、小さな値札がついているのに気付く。値札には10ギルと書かれていた。

 フードの男は、これから髪留めを渡す相手の顔を思い出して少し顔を歪め、そして露天商の女性に心の中で謝罪した。


*** 


「プレゼントだぜ、おかしら


 フードの男は隠れていない口元をニヤニヤとさせながら、尊大な態度でソファに据わっている赤髪の男に、露天で購入した綺麗な貝殻がついた髪留めを投げ渡した。


 赤髪の男の名はオーノウス・リュース。自由都市エイザンの闇に生きる組織『紅蓮ぐれんあぎと』を統べる頭目だ。

 三十歳にも満たない若者でありながら、世界最大の商業都市の闇を統括し、コントロールしていた。


 オーノウスに髪留めを渡した男はカル・スヴェン。紅蓮の顎に所属している情報屋だ。元は他国で密偵や暗殺を生業としていたが、オーノウスに拾われて紅蓮の顎でエイザンの闇に流れる情報を取りまとめている。


 カルから髪留めを受け取ったオーノウスは眉間に皺を寄せる。カルは稀に冗談とも本気とも分からない行動をすることがあった。今回も男であるオーノウスに対していたずらをしようとしている可能性はある。


「なんだこりゃ。俺はこんなもんつける趣味ねーぞ、カル」

「オレだって男、てか頭みてーなおっさんに貝殻の髪留めプレゼントする趣味なんてねーよ! 謝れ! オレと露天のおばちゃんに!」

「なんでお前がキレてんだよ。つか、露天のおばちゃんってなん――」


 オーノウスは、急に怒り出したカルをあしらいながら、手にした髪留めに紙片が挟まっているのを見つけた。

 紙片を広げる。紙には何も書かれていない。


ほら吹きの助言ルグラート


 手に魔力を込めて呟くと、紙片に小さな文字が浮かび上がり、やがてオーノウスの目に吸い込まれて消えていった。


「……動くぞ、カル」

「あの暗号魔術、オレっち読めねーんですけど。説明してくんねーすか?」

「めんどくせぇ」


 オーノウスは少し曲がった短い剣と、手を守る鍔のついていない、少し長めの直剣を腰にさして上着を羽織る。


「ついてくるのはルミアとお前だけだ。他はここの守りと各地の情報収拾」

「へいへい。カレンさんに連絡は?」

「いらん」

「ギルドは?」

顔無かおなし影斬かげきり、それ以外はいらん。金は惜しむな」

「おう、こりゃ珍しいね。頭、女か?」

「そうだ。いい女は捨て置けねぇたちでな」

「おっけー。んじゃ、また後で」


 納得したのかフードを被った細身の男、カルは影に潜るようにその場から消えた。


 自由都市エイザンにはレーベンガルズ各地から、様々な人や物が集まってくる。人の往来も多く、様々な情報も集まってくる。

 オーノウスは紅蓮の顎を使って、エイザンの闇に潜み、情報を集めていた。単なる噂話から、国家機密に関わる情報まで様々な情報を仕入れている。裏取りも含め、商工ギルドとの情報のすり合わせも行っており、速さと精度はかなりのものだ。


 今回も、様々な情報からとある女の場所を導き出していた。巨大な組織の闇が見え隠れする、歪な情報から。

 

「つまらん政治のせいで振り回されちゃたまらん。悪いが、今回の盗りあい、俺達も参加させてもらうぜ」


 扉を開く。夜の闇を、都会の魔導灯が照らしている。天に輝く太陽のように、とまではいかないが視界を確保するには十分過ぎる明かりが地面に影を落とす。


 エイザンのような小さな光ではない。これから覗く影は、どれほどの闇だろうか。


 オーノウスは、背筋に冷たい物を感じながら、戦いに向けて足を踏み出した。