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第39話/全45話

二人の鬼

 戦場に血の嵐が吹き荒れている。嵐を巻き起こしているのは身体も武器も、返り血や魔物の肉片、泥や埃で黒く染まった一人の剣鬼だ。


 黒い影が動くたびに血が吹き出し、肉片が飛び散る。夜の闇の中で、黒い人影の血走った赤い目だけが光っているように見えた。

 時が経つにつれて剣鬼の動きは速く、力強くなっていく。大剣を片手で振るい、空いた手で魔物を掴み投げ飛ばす。

 目についた動く者全てを斬り裂き引き千切り蹂躙する、狂気の戦士。


 結界の中まで下がったアルマは、あまりにも人の域を逸脱した騎士の動きに目を細めていた。アルマの隣には、同じく結界の中まで下がったティリアが剣鬼の戦いに目を奪われていた。


「レスター様……団長の仰っていたことが、今はっきりとわかった」


 

 あの姿こそが、規格外の騎士と称される白鷲聖騎士団の団長をも恐れさせた、ラングリーズの剣鬼の姿なのだと。


 しかし、疑問もある。先程まで共に戦っていたアルバート・ナイセルという騎士は、団長と同じく中年の騎士だったはずだ。


 なんらかの魔術によって、若い姿を取り戻したのだろうか。

 若返りの魔術の存在は確認されていない。魔導国家イセンの魔導師達をまとめる三人の魔女は数百年に渡り若い姿を保っているらしいが、それ以外では聞いたことが無い。

 奇跡の体現者である聖女ですら、時の流れには逆らえないのだ。仮にそのような秘術が開発されているのであれば、各国がこぞってその技術を手に入れようとするはずだ。


 恐らくは、ラングリーズ王国の秘術を扱うアレクシアが何らかの魔術を行使したのだろう。大魔術の結果のみを召喚するなどという、常識から外れた魔術を扱う召喚の巫女。


 アレクシアは水晶球を手に聖女の傍らに立っていた。目に涙を溜めながら、必死にそれを押しとどめようと唇を噛んでいる。

 その表情から、大きなリスクを伴う術を行使したのであろうことが伺えた。既に死んでしまった者を蘇生させ、さらに若返らせているのだ。神の御業にも匹敵する奇跡を行使してただで済むはずもない。


 ―――!


 ティリアが思考に身を委ねていると、目の前に展開されている結界が震えた。同時に言い知れぬ重圧を感じて振り返る。


 血の嵐が止まっている。身体を黒く染めた騎士は動きを止めて一点を凝視していた。


 ―――!!


 重圧が膨れ上がる。目に見えるほどに空気が振るえ、結界が音にならない音を立てて軋んでいる。

 その重圧を受けた騎士は、狂気に歪んだ口元を結び、一点を凝視する。瞬間、騎士が見つめている方向から、黒く禍々しい気が溢れ出して周囲を闇に包みこんだ。

 月の光を遮る程に膨れ上がった禍々しい気は凝縮され一点に集まり、その姿を顕にしていく。月が光を取り戻し、その姿を照らし出す。


 鬼がいた。


 口や身体からは蒸気のように黒い煙が吹き出し、黒い鋼鉄のような身体には青黒く光る紋様が浮かび上がり、脈動するように明滅している。

 斬り落とされた左腕は当然のように再生しており、身体に深く刻み込まれた傷も、跡形もなく消え去っている。


 不死身の悪鬼。魔王軍の最高戦力の一人。


 悪鬼は一歩、二歩と歩を進める。近づくにつれ、重圧がましていく。訓練された聖騎士であるティリアですら、その恐ろしい姿と放たれる異常なまでの重圧に息が詰まった。


 歩を進めた悪鬼は、自分が来るのを待っていたもう一人の鬼の前で立ち止まる。


 そして大きく顔を歪ませて、笑った。

 応じるように騎士も笑った。

 

 これから始まる戦いが、楽しみで仕方ない。二人は互いに声も出さず顔だけを歪ませて笑い合う。

 悪鬼と剣鬼、二人の気が高まり、周囲の空気を振るえさせていた。膨れ上がる二人の闘気に押され、結界が軋み、魔物が下がっていく。


 構えを取ることも無く、赤く染まった目で互いを睨みながら笑い合っている。


 さらに二人の気が膨れ上がる。結界が悲鳴をあげ、徐々にひび割れていく。

 膨れ上がる悪鬼と剣鬼、二人の鬼の気に耐えきれなくなった結界が、パリン、と音を立てて割れた。

 

 結界が割れたのを引き金に、戦いが再開される。


 拳と剣がぶつかり合った衝撃で周りに散らばる魔物の死体が吹き飛ぶ。人など簡単に粉々にする悪鬼の拳。強靭な魔物の身体をも斬り裂く剣鬼の斬撃。

 その一つ一つが必殺足り得る攻撃を無数に繰り出して戦う二人の鬼。身体を削り、血肉を撒き散らしながらも愉悦に満ちた顔で殺し合う姿は見る者を震撼させた。



「ここも危ないですね。少し退がった方がいいです」


 二人の戦いで弾かれた魔物や砕けた大地の礫が飛散していた。二層目の結界が砕けた為、守る物がなくなったアルマ達のところまで戦いの余波が届いている。


「道具屋殿は退がられよ。私はここを動くわけにはいかない」


 ティリアは戦いで魔群との戦いで傷つき、ボロボロになった盾で飛来する礫を弾いている。


「聖女は何をやってるですか。ただの神頼みなら後でやるですよ」


 アルマ達の後ろで、聖女は膝を折って手を合わせ、目を閉じて一心に祈りを捧げていた。愚痴りながらもアルマは飛来する礫や魔物を手に持ったナイフで弾いた。


***


「アルバートさん……」


 祈りを捧げる聖女の隣でアレクシアは目に涙を溜めながら、共に旅をしてきた仲間であるアルバートの戦いを見ていた。

 長く王国に仕えた騎士。魔王討伐の旅で自分達を導いてくれた、優しい騎士の……最期の戦いを。


『姫、召喚魔法を頼みたい』


 傷ついたアルバートはアレクシアに召喚魔法の行使を願った。


 ラングリーズ王国に伝わる召喚魔法は汎ゆる事象と縁を結ぶ『事象召喚』と、特定の人物と縁を結び呼び寄せる『勇者召喚』に分けられる。

 先の戦いで放った魔術の召喚は事象召喚を魔術に限定して負荷を下げた物だ。


 勇者召喚では、異世界から世界と時間を越えて人を呼び寄せる程の奇跡を起こすことができる。その力を使えば、過去に死した英雄も召喚することが可能だった。

 英雄を召喚するためには異世界から勇者を召喚する以上のリスクを伴う。その上で成功率まで低いため、先々代の召喚の巫女であるカリーナ・ラングリーズによって止められていた。

 更に、英雄召喚には依代となる者が必要だった。存在しないはずの者を世界に留めるための、身体が必要なのだ。


『なに、簡単なことだ。私の身体に全盛期の私を召喚してくれればいい。できるだろう?』


 召喚魔法の詳細を知っているアルバートは事も無げに言い放った。自分を依代に、過去の自分を召喚する。可能ではある。可能ではあるが、それは世界のことわりに大きく反することだ。

 時間の流れを無視する程の奇跡の上に、因果を捻じ曲げる奇跡を重ねる事はできない。仮に召喚に成功したとしても、短い時間で因果の矯正力によって、その存在は滅びることになるだろう。


『このままでは、全員死んで終わりだ。全盛期の私なら、今の状況を覆すこともできよう。それに、私はもう助からん』


 グロウが放った銃弾は、アルバートに致命傷を与えていた。魔弾による呪いが掛けられていたのだろう。高位の僧侶であるフーナの回復魔術でも傷が癒えることは無かった。

 途中から戦いに参加した聖女の奇跡に期待したが、聖女の唄も、回復の技も、その呪いを解くには至らなかった。僅かに回復はしたが、時をおけば傷口が開き、流れる血が止まることは無かった。


 ただ、死を待つだけなのならば――


 アレクシアはアルバートの願いに応え、死したアルバートの身体に全盛期のアルバートの姿を召喚した。時間はかかったが召喚は成功し、一時とはいえ命を永らえさせることもできた。


 目の前で激しく悪鬼と斬り合う若きアルバート。召喚魔法を行使したアレクシアには、その存在が少しずつ消えていることがわかった。もう、いくばくも時は残されていないだろう。


「もっと早くこうしていれば良かった」


 イセンの大魔導の言葉など無視して、最初から召喚魔法を使っていれば良かった。そうしていれば……。


えにしを結ばん」


 魔力は尽きかけている。水晶球にも、召喚魔法を発動できるほどの魔力は残っていない。この状態で召喚を行えば魂が燃え尽き、命を落とすことになるだろう。


 アルバートに残された時間は、もうない。彼の想いを継いで皆を守るのは自分の役目だ。

 手に持つ水晶球に魔力を集める。召喚の発動に必要な魔力が水晶球を満たして光り輝いた。発動さえさせてしまえば、自分の命を吸い出して求める者を召喚してくれるはずだ。


 三人で強くなろう――


 俊彦との約束した言葉が脳裏をよぎった。もう、それは望むこともできない、夢だ。自分とアルバートがいなくなれば、あの優しい勇者は悲しむだろう。

 でも、きっと大丈夫だ。自分達が信じた勇者は、必ず魔王を倒してくれる。


 水晶球を持つ手に力を入れ、言霊を紡ぐ。


「請うは――」

「請うは秩序。世界の護り手」


 アレクシアの言霊に合わせて、聖女が言霊を紡いだ。


「聖女、様……?」

「祈りは届きました。貴女の魔法の力、お借りします」


 聖女の行動に目を丸めているアレクシアの手に、自らの手を重ねて言霊を続ける。


「我らに救いと安寧を」


 重ねた手から聖なる魔力が迸り、水晶球の魔力を満たす。


「天秤よ来たれ」


 水晶から光が放たれる。流星のように闇夜を斬り裂く光は、天へ昇り一際眩く光り輝く。

 目が眩む程の光。その光の先には巨大な紋章が浮かび上がっていた。