WEB小説

第43話/全70話

真の脅威

 空に光の玉が瞬いている。

 情報の伝達に広く使用されている信号魔術の光だ。


 この世界レーベンガルズでは電波等による長距離通信の手段は確立されていない。ごく短距離であれば、魔術による念話で声を届けることはできるが、組織単位での情報伝達の手段は魔術による光の信号を使う事が多い。


 敵と味方の識別が難しく多用していると逆手を取られることから、一度の戦闘において使用できる回数は多くはないが、予め決めておいた光の色の組み合わせで大まかな情報が伝えられる。主に作戦行動のトリガーとして活用されていた。


 現在、空で輝く光の玉は三つ。赤、白、白。意味するところは、強敵の襲来。


「どういうこった。足止めに成功してたんじゃないのかよ」


 敵軍を隘路に誘導したエリア率いる赤火隊は、予め定められていた合流ポイントに向けて進んでいた。作戦成功の合図、つまり俊彦がイルムガルトの足止め、もしくは撃退に成功したと示す信号魔術を確認してから、敵の引き込みを行った。

 俊彦からの合図が最初の信号だったため、敵に暗号が解読された可能性は低い。敵の捕虜となってこちらの情報を渡した可能性も考えられるが、俊彦は信号魔術の暗号を知らされていなかった。

 共にイルムガルトの足止めに向かったマルヴィンが下手を打ったのだろうか。


「もしくは、勇者の甘さが招いたミス、か」


 撃退に成功したと思っていたが、そうではなかった。人を傷つけ、殺す事に躊躇していた俊彦なら、十分にありえる。


「進路変更。リナ、隊を頼む」


 だとすれば、このまま合流ポイントに行くのは危険だ。イルムガルト相手に数に頼んだ戦いは意味が無いだろう。

 幸い、事前に隘路の抜け道や登りやすい岩山の情報は得ていた。既に日が沈んでいるので、夜陰に乗じて兵を伏せておけば、何かの際に役立つだろう。


「近くの岩山に隠れといてくれ。兵を出す判断は任せる」

「承知しました。エリアさんはこのまま行かれるんですか?」

「おう。噂の戦女神とやらを拝んでくる」

「わかりました。ご武運を」


 エリアは赤火隊を隊員に任せて、一人で合流ポイントへと向かった。


 目的地が近づくにつれて、血の匂いが漂い始める。すでに、戦いは始まっているようだ。死の気配を感じて、首の裏側がちりちりしていた。

 エリアは槍を持つ手に力を入れて、徐々に走るスピードを上げていく。


 血の匂いが一層強くなった。隘路を抜けた先の開けた地に、戦気が立ち昇っている。

 駆け込む勢いのまま初撃を与えようと、姿勢を低くして一気に隘路を駆け抜けた。


 左右を圧迫していた岩山が消える。開けた地に出たエリアは、その異様な光景に立ち止まった。


「こりゃぁ……」


 死屍累々とは、正にこのことだろう。地を埋め尽くす夥しい数の死体。周囲を満たす血の匂いに反して、どの死体からも殆ど血が流れていない。


 そして、死体の山に、黒い人がいた。

 心臓が鼓動を刻むように赤く明滅する剣を携えた黒い人。


「イルムガルト・クラム……か」


 エリアの背筋に悪寒が走る。

 万夫不当と称される蒼華騎士団団長のユスティアと対峙した時と同じか、それ以上の感覚。


 歴戦の騎士としての本能が、あの黒い人と対峙するのを避けようと警鐘を鳴らしていた。

 人の身で対峙して良いような相手ではない。隊を置いてきて正解だった。一人ならば、逃げることも――


「また、餌だ」


 見つかった。黒い鎧を身にまとい、肌も、目も黒く染まった人が、エリアを見てニタリと嗤う。

 その黒い目に射抜かれたエリアは、蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなった。


 黒い人、ザカート帝国の騎士イルムガルトは、新たな餌を見つけてゆっくりと歩いてくる。

 イルムガルトが近づくに連れて、エリアの身体を恐怖が支配していった。手も足も硬直して動かない。数多の戦場を駆け、無数の強者と槍を合わせてきたエリアにして、ここまでの恐怖を感じたのは初めてだった。


「くそ……こんな……」


 黒い人は嗤いながらゆっくりと近づいてくる。口は乾き、息が詰まる。身体が震えだしそうになるのを、奥歯を噛み締めて耐えた。

 膝に力を入れる。槍を持つ手に渾身の力を込める。下っ腹に気をためる。


「ん……が……あああああああ」


 乾いた喉が張り付いて上手く声が出せない。それでも、エリアは全身に力を込めて吠えた。


「なっめんなぁああああ!!!」


 大気を震えさせる程の咆哮と共に、エリアの身体を支配していた恐怖の枷が外れた。


「生きのいい餌」

「るせぇっ!!」

 

 身体の自由を取り戻したエリアは、鋼鉄の槍に赤い闘気を纏わせてイルムガルトに全力の突きを繰り出した。

 構えも取らずに近づいていたイルムガルトは、エリアが繰り出した槍撃を受けて少しだけ後退する。


 分厚い鋼鉄ですら簡単に貫く『急先鋒』エリア・アイゼンガルドの渾身の一撃で傷一つつかない。夥しい数の人の血を吸った魔剣によって、イルムガルトは人の域を大きく越えて強化されていた。


「クソが……」


 奥義に次ぐ威力を誇る渾身の突きですら、傷つけるどころか吹き飛ばすことすらできなかった。あまりの硬さと重さに槍を持つ手がじんじんと痺れていた。


「美味しそう」


 正気を失っているのか、イルムガルトは構える素振りも見せずに無防備に近づいてきていた。あの、硬さと重さ。攻撃に転じれば防ぐことは難しいだろう。


「なにが美味しそうだよ。喰われてたまるかってんだ!」


 イルムガルトを近づけまいと我武者羅に槍を振るった。鎧の部分も生身の部分も、どちらも硬く重い。

 鋼鉄の剛槍の連撃ですら、僅かに歩みを遅れさせるだけだった。


「いただきます」


 呟きと共にイルムガルトの身体が僅かに傾いた。嫌な予感を感じたエリアは、全力で横に飛ぶ。

 飛び退いたと同時に、先程までエリアがいた場所を赤い衝撃が走り抜ける。

 

 衝撃は地に転がる死体を巻き込み、隘路の入り口にあった岩山を吹き飛ばした。


「ノーモーションであれかよ……!」


 この戦い、勝てない。生きて帰ることすら、難しい。


「さて、どうやって逃げっか」


 赤い衝撃を放ったイルムガルトは、飛び退いたエリアを見つけて嗤っていた。また斬撃を放ってくるかと身構えたが、先程と同じようにゆっくりと歩いて近づいてきていた。

 魔剣に血を吸わせるのが目的だろう。こちらを餌としか見ていないなら、この隙をついて逃げる他ない。


「逃げられないよ」


 エリアの横を赤い衝撃が突き抜けた。いつ放ったのか、剣の動きは見えなかった。


「ゆっくり食べると、美味しいんだ」

「……いたぶるつもりかよ。クソッタレめ」

 

 逃げる事はできそうにない。ならば――


 槍の穂先をイルムガルトに向けて気を集中する。

 槍を向けられたイルムガルトは、エリアの覚悟をあざ笑うような愉悦に満ちた表情を見せた。


「伊達に急先鋒って呼ばれてるわけじゃねぇ……見せてやらァ! 赤火隊の真髄をなっ!!」


 全身に闘気を纏ったエリアが高く飛び上がり、槍を引き絞る。

 極限まで高められた闘気が槍に集束し、太陽が如き輝きを灯した。


「ぶち抜けぇっ!! 槍焔赤火アラドヴァル!!」


 夜の闇を煌々と照らす小さな太陽が投擲された。

 空気の層を破り、幾つもの衝撃波を発生させながら、輝く槍がイルムガルトへと迫る。


亡者の慟哭ハウリングヴァッフェ


 槍を迎え撃つようにイルムガルトが魔剣を大きく振るうと、硝子を引っ掻いたような耳障りな音と共に赤黒い光が放たれた。

 赤黒い光は放たれた槍をあっさりと弾き飛ばして空へと消えていった。


「奥義でも、ダメかよ」

 

 奥義を弾かれ、武器も失った。無手でどこまで戦えるか。

 大きく息を吐いて構えを取る。


「まだ、足掻く。本当に、美味しそうだ」

「そりゃな。まだ結婚もしてねーんだ。こんなとこで死んでられっかよ」


 エリアは、嗤いながら近づいてくるイルムガルトの動きに集中する。


 東方の島国、ヤマト皇国に伝わる戦技に『白刃取り』と呼ばれる奥義がある。

 蒼華騎士団の隊長の一人がヤマト皇国の出身であり、何度かその奥義を見せてもらったことがあった。

 素手で相手の武器をはさみ取り、攻撃の勢いと自らの力で武器を破壊したり、それを起点とした関節技につなげる妙技だ。

 エリアも一度、その技を受けたことがある。あれは、知らずに受ければ熟練の戦士であっても武器を手放してしまうだろう。


 勝負は一度きり。

 タイミングさえ合わせる事ができれば、どれほど強力な攻撃だろうと、どうにかなるはずだ。


「よっしゃこい!!」


 イルムガルトが間合いまで後一歩まで近づいたところで、腹の底から声を張り上げる。最後は気合と運だ。


「いや、そりゃ無茶だろ姉さんよ」


 気合を入れたエリアの叫びに、呆れたような声が返ってきた。同時に足元から青い光が立ち上り、身体の自由が奪われる。


「……な、んだ、これ」


 あと一歩の距離まで近づいたイルムガルトも、同じように動きを止めていた。強力な魔術による拘束に眉根を寄せて不快そうな顔をしている。


「この程度で、私が止まるとでも思っているのか」


 動きを止めていたイルムガルトが、力づくで拘束を破ろうとしている。


「ちょっとだけで良かったんでね。もう十分だ。んじゃ行くかね姉さん」


 脇から現れた金髪の騎士、マルヴィンが身動きが取れなくなったエリアを肩に担ぎ上げる。


「じゃあな」


 マルヴィンは二本の指を額に当てて、イルムガルトへと捨て台詞を吐いてから、エリアを担いでその場から飛び退いた。


「逃がさ――」


 エリアと共にマルヴィンが飛び退いた直後、目の前の獲物を持ち去られ、怒りに顔を歪めたイルムガルトを光の奔流が飲み込んだ。