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第49話/全70話

天秤と勇者

 空から騎士の声が木霊した。

 予想外の出来事に事態が飲み込めず、大半の者は気が抜けた表情で空を見上げていた。


――やはり、きた


 天から地上を見下ろす天秤の騎士アストリア・ブラギウムに向けて、俊彦は静かに剣を構えた。


――頼むファラ……力を貸してくれ


 手にした聖剣ファラに語りかける。あの騎士を止める為には力が必要だ。足止めすら困難だった、イルムガルトを一撃で屠る程の力を持つ騎士。

 全力で挑んだとしても、皆を守りきれるかわからない。


「やはり、そう来たか! マル坊!!」

「いやいや、名前呼ばれてもなんも出来ないっすよ! 天秤の騎士なんてどうやって止めるんすか!!」


 空を割って、光の柱が現れる。


「んだ、ありゃ――」

「呆けている場合ではありません! みんなこっちへ! 魔術が使える者は防壁を!!」


 異変を感じた騎士達が対処のために動き始めるが、天から差す光は除々にその力を強めている。


「アストリア・ブラギウム……全てを消し去ることで秩序の均衡を守る者。話をする余地すらないとは」


 エーコの頬を冷や汗が伝う。天から落ちる光がアストリアの剣に集まり、目を覆わんばかりの輝きを放っていた。

 戦場を一掃する天秤の奥義が放たれようとしている。半ば無駄とは分かりつつ、少しでも被害を軽減しようと矢継ぎ早に指示を出していたエーコの目に、静かに剣を構えて天を睨む勇者の姿が見えた。


 夜空を昼間のように照らす天秤の剣ほどではないが、腰だめに構えた勇者の聖剣は力強い光を放っている。


「あれと、やり合う気ですか。……ならば懸けてみましょう。エリアさん!」


 自らの策を伝えようと声をかけたが、エリアはすでにエーコの考え通り、全身に闘気を巡らせて槍を構えていた。

 エリアに並んで、ミハエルもマルヴィンも、フィリアですらも膝を震わせながら、天秤に抗うために力を振り絞っていた。


「……情報は過分。士気は上々。戦力は些か不足。いいでしょう。この戦を手にするため、私も尽力しましょう」


――戦場は軍師の掌上にパーム・タクティクス


 エーコが腰に携えていた鞭で虚空を打つと、広範囲に渡って空気が僅かに振動した。

 振動によって、空気に見えない波が発生する。波は天に向けて走り、天上で剣を構えるアストリアの身体を打ち付けた。


 今にも光を纏った剣を振り下ろそうとしていたアストリアの動きが、僅かに鈍る。


 戦場では一瞬の遅れが大きな敗因となることがある。エーコの奥義、『戦場は軍師の掌上にパーム・タクティクス』は空気の波を作ることで軍全体の動きや思考に僅かな隙を作る、対軍用の奥義である。


 対軍の奥義を集束して尚、天秤の動きは一瞬しか止めることはできない。しかし、戦ではその一瞬で全てが決まる。

 

「少々癪ではありますが……あとは運、というところでしょうか」


 天の意思を受けた天秤筆頭アストリア・ブラギウムの奥義、全てを消しさる光『双天並び立たずグランド・ロウ』が放たれた。


 戦場に光の瀑布が降り注ぐ。『双天並び立たずグランド・ロウ』の光は、全てを消し去る。人も物も。万象を消し去る正義の光。

 その光が戦場に落ちれば、この地で戦っている者はこの世から消え去るだろう。


「守ってみせる! 幕を引く者フィニス・ブレイブ!!」


 降り注ぐ光の瀑布と天を衝く聖剣の光が激突した。

 広域に降り注ぐ光の瀑布に対して、聖剣の光はあまりにも小さく見えた。それでも、仲間を守るために放たれた光は、俊彦達のいる場所から光の瀑布を遠ざけていた。

 さながら滝の途中に突き出した岩のように、聖剣の光が双天並び立たずグランド・ロウの光を断ち割っている。

 

 光の瀑布は降り続けている。滝に突き出た岩のように光の瀑布を防いでいた聖剣の力も、除々にその勢いに削り取られていく。


「まだまだぁっ!!」

「今っす! 合わせますよミハエル様!」

「やれやれ、急かすでない」

「私、だって――!!」


 押され始めた聖剣の光に、それぞれの奥義が合わさる。

 赤い閃光が、青い光と爆ぜた大地が、そして無数に舞う白い花弁が、無慈悲に降り注ぐ光の瀑布を押し留める。


「……少し、足りませんか」


 呆けたように天を見上げていたザカート帝国軍は、すでに光に包まれて見えなくなっていた。


 激突する二つの光は拮抗していたが、死力を尽くして奥義を放っている以上、いずれは押し負けるだろう。

 そうなれば、自分達に待っているのは、光の瀑布に押しつぶされて塵となる未来しかない。一か八か、防御に回している魔術を攻撃に転じるべきか、否か。エーコは眼鏡の位置を正しながら、束の間逡巡する。

 

「魔術部隊、詠唱を――」

 

 判断を下したエーコが指示を出そうとしたその時、背後にある岩山が轟音を立てて弾けた。


「――っ! こんな時に!!」


 禍々しい黒い気を纏ったイルムガルトが、崩れた岩山から現れる。


「なめるなよ、天秤……!!」


 構えた魔剣に周囲から『なにか』が集まって吸い込まれていく。『なにか』を吸い込んだ魔剣は――魔剣を構えたイルムガルトごと、禍々しい姿に変わっていく。


「喰らってやる。そうだ、全部喰らってやる!! 」


 膨れ上がった禍々しい気に包まれて真っ黒に染まったイルムガルトが、天に向けて魔剣を構える。


「天秤も、人も、何もかも喰らってやれ魔剣よ!! 飢えた愚王の叫びグラン・グラム・ハウル!!」


 魔剣から黒い光が放たれた。

 光は聖剣の光を飲み込み、天から降り注ぐ光の瀑布をも飲み込んだ。


 全てを飲み込んだ黒い光は上空で弾けて天を覆った。月の光も、天秤の紋も全てを黒が覆い尽くす。


 世界から、光が消えた。



「はは、はははは!! そうだ、私が、魔剣が、負けるはずがない! アハハハ!!!」


 暗闇に包まれた世界で、狂気を含んだ笑い声が響き渡る。


「さあ、食事の時間だ。いっぱい食べよう。全部食べたら、終わらせよう、くだらない戦争も、なにもかも」


 暗闇の中に、歪に釣り上がった赤い口だけが浮かんだ。


 異様な光景に皆が息を飲む中、赤い口に向けて俊彦は足を踏み出した。

 手にした聖剣は、戸惑うように弱い光を漏らしている。魔剣が作り出した暗闇に対するにはあまりにも弱々しい光だ。


「これが、オレが選択した結果」


 イルムガルトへ向けて歩を進めながら、俊彦は聖剣ファラに語りかけるように呟いた。


 一人の命も奪わずに戦いを止める。その為の力が、自分にはあると思っていた。

 最初の戦いでイルムガルトに止めをささなかったことで、魔剣の糧となって多くの人が死んだ。それを止めることができなかった。


 降臨した天秤の騎士も、止めることはできなかった。自分や仲間の命があるのは、皮肉にも天秤の光で死んだザカート帝国軍の魂を喰らった、イルムガルトの力によるものだ。


 そして今、そのイルムガルトが自分達の命を喰らおうとしている。


 自分の選択が呼び覚ましてしまった力。自らの力が及ばない敵。

 自らの選択で失われた多くの命。


「後悔しても、命は帰ってこない。受け止めよう。そして――」


 聖剣の光が線を描く。

 その光には魔剣が作り出した闇を斬り裂く程の力は無い。魔剣によって力を増したイルムガルトに簡単に躱されてしまう。


「諦めない」


 闇に浮かぶ光の線が増えていく。一つ、二つ、三つ。速く、鋭く。

 光の線が魔剣と交わり大きな光を放つ。


「鬱陶しい」


 イルムガルトは受けた魔剣で聖剣を弾いた。想像以上の力に、俊彦は体勢を崩す。


「一人目」


 イルムガルトが魔剣を振り下ろす。俊彦は弾かれた勢いを利用して身体を回転させ、振り下ろされる魔剣に聖剣を合わせて攻撃を防いだ。

 構えも踏み込みもない、ただ片手を振り下ろしただけの魔剣が、異常に重い。

 

「つぁぁぁっ!!」


 膝から腰、肩から腕。全身に渾身の力を込め、気合と共に剣を振り抜いた。

 僅かに、イルムガルトの魔剣から重さが消える。その隙をついて後ろへと飛び退り、体勢を整える。


「助太刀する」


 深呼吸して気息を整えようとしていた俊彦の横を、黄金の光が駆け抜けた。


「生きていたか天秤!」

「あの程度では死なんよ」

 

 光の粒子を散らしながら、天秤の大剣がイルムガルトの魔剣とぶつかり合う。

 

「軽いなぁ天秤。その程度か?」


 イルムガルトはにやにやと嗤いながら、天秤の騎士アストリア・ブラギウムの剣を片手であしらっていた。押しきれないと感じたのか、アストリアはイルムガルトから距離を取り、地面に大剣を突き立てた。


正義の天秤ジャッジメントスケイル


 突き立てた剣に呼応するように、イルムガルトの足元から光が溢れ出す。

 溢れ出した光は柱となり、イルムガルトが纏う禍々しい気を散らしながら天へと立ち昇った。

 しかし――


「さっきより、威力が落ちていないか?」


 俊彦は自分の隣まで下がってきたアストリアに質問する。先程は一撃でイルムガルトを戦闘不能にした技だったが、今回はそれ程ダメージを与えているようには見えなかった。


「天秤の加護が届かない相手だ。普段の私はこの程度だよ、勇者」

「加護が届かない相手? それはどういう――」

「アレはもう、人ではないということだ」


 光の柱に削られながらも、歪な笑みを止めない女騎士。赤黒い気に覆われたその姿は、三日月のように赤く割れた口元以外は、未だ判別することが難しい。

 聖剣の光でも、天秤の技でも倒し切ることができない相手。確かに、人の域を外れている。


「お前達ごと、全てを消し去ろうとした私が言うのも気がひけるのだが……手を貸してはくれないか、勇者よ。アレは捨て置いて良い存在ではない」


 俊彦を見つめるアストリアの目は、全てを消し去る光の瀑布を放った時と同じ目をしていた。


「断る、と言ったら?」

「一人でやるしかあるまいな」

「勝ち目は?」

「一人では無理だな。十中八九魔剣に喰われて終わりだ」

「仲間は?」

「人ならざる者の脅威に、天秤が降りることはない」

「……逃げないのか?」

「世界を守るのが、私の使命だ。逃げる選択肢はない。協力できない、というのであれば仲間を連れて逃げると良い。足止めくらいはできるだろう」


 問いかけに澱み無く応えるアストリアの目は変わらず、俊彦をじっと見つめている。


「オレは、貴方のことが好きになれそうにない」

「そうか。有無を言わさず消し去ろうとしたのだ。それも仕方あるまい」

「ああ。戦いを止めるために、全てを奪うのは同意できない。話し合えていれば違う未来もあったはずなんだ」

「……そうだな。ああ、その通りだ。私は間違えたのだろうな」


 アストリアは自重気味に笑い、少しの間だけ目を閉じた。

 

「逃げ延びたらファティマのモールディング大司教を頼れ。アレを止めるには強力な悪魔祓いエクソシストの力が必要になる。それほど時は稼げまい、急げ」


 アストリアは地面に突き立てた大剣を抜き、イルムガルトに向けて構えた。その目は先程までとは違い、少しだけ堅さが和らいでいるように見えた。


 それを見た俊彦は、静かに聖剣を構えて一歩前へと踏み出した。

 

「オレも、きっと間違えた。だから、ここで退く訳にはいかないんだ」


 アストリアは聖剣を構えて隣に並ぶ俊彦を見て、口元を綻ばせた。


「そうか。お互いこれ以上間違えるわけにはいかないな。先程、私の奥義を防いだ光は放てるか?」

「無理だ。貴方は?」

「足止めに放った正義の天秤ジャッジメントスケイルで打ち止めだ」


 二人が話をしている間にも、光の柱は除々に小さくなっていく。黒く染まったイルムガルトは感情が消えたような表情を浮かべて、アストリアが放った光が消えるのを待っているようだった。


「どうやって倒す?」

「やつが纏っている魔剣の気を払うしかないな。幸い、私の剣と君の剣はアレに対抗できる光の力を持っている」

「地道に削っていくしか無いってことか」

「そうだな。私が合わせよう。君は君の思うように戦うといい」

「わかった」


 タイミングを合わせたように、光の柱が消えた。俊彦は身体を低く構えてイルムガルトへと突撃し、渾身の力で聖剣を振り抜いた。


 横腹にまともに聖剣の一撃を受けたが、イルムガルトは微動だにしない。聖剣の光に当てられた黒い気が僅かに削られ、粒子となって消えただけだった。


 間をおかずにアストリアが斬撃を放つが、黒い気を削るだけでダメージを与えた様子は無い。


「ははっ! アハハハっ! 天秤も勇者も、私を傷つけることすら出来ない。ああ、これで叶う」


 イルムガルトが軽く腕を払うだけで、衝撃波が巻き起こる。俊彦とアストリアはその衝撃に耐えきれず、波に乗るように自ら飛び退き、イルムガルトとの距離をあけた。


「明らかに、強くなってる。どういうことだ……?」

「馴染んできているな。時をおけば、それだけ魔剣が放つ気に身体が馴染む。まだ、強くなるぞアレは」


 完成されようとしている。魔剣から吹き出る黒い気がイルムガルトの身体と同化し始めている。

 どこか正気を失ったようだった瞳も赤く染まり、別の狂気を感じさせる光を放っていた。


「全て、終わらせよう、この力で。天秤も、人も、魔王も。斬って喰らえば終わりだ」


 際限なく噴き出していた黒い気が消えていく――


「そうだ。争いなど誰も喰らいはしない。ならば私が全て喰らって、終わらせればいい」


 黒く染まった刀身に血管のように走る赤い光が、怪しい輝きを放っている。イルムガルトの身体にも、同じく怪しく光る赤い線が浮かび上がった。 


「魔剣よ!!」


 掲げた魔剣に、巨大な黒雷が落ちる。黒い雷は魔剣とイルムガルトを包むように帯電し、闇に包まれた世界を黒い光で照らした。